シンガポールの戦い
- 2月8日:日本軍はシンガポールへ向け、ジョホール海峡から大砲による砲撃と空軍による爆撃を開始。そしてシンガポールへ上陸。イギリス軍との交戦開始
- 2月12日:負傷兵とオーストラリア軍の看護師およそ65名が商船でシンガポールを出港。2月15日に日本軍の航空機により爆破され、バンカ海峡で撃沈。沈没による死者と行方不明者が出る中、救命ボートへ兵士と看護師、民間人が乗り込み、オランダ領のバンカ島へたどり着いた。島はすでに日本軍に占領しており、兵士は全員殺害され、看護師は21名が殺害され、24名が生き延びた。「バンカ島事件」として知られる
- 2月14日:イギリス軍病院襲撃。イギリス軍がアレクサンドラ病院にたてこもり抗戦したことから病院襲撃となった。軍医やナース、患者などおよそ30名を殺傷。翌日、降伏した200名をも殺傷。「アレクサンドラ病院虐殺事件」として知られる
- 2月15日:イギリス軍降伏によりシンガポールが陥落。約8万人の連合国軍兵士が日本軍捕虜となる。シンガポールは「昭南島」と名付けられた。
日本占領時期のシンガポール(昭南島)
- 2月19日:日本占領に反対した華僑の抗日勢力をおさえるべく、およそ1ヶ月間の間に3度の検問を行い、数千人を虐殺したとされる。「シンガポール華僑粛清事件」として知られる
- インドやオーストラリアからの食糧及び資源調達が不可能となり、ハイパーインフレーションに陥る。(例:米の値段が60kgあたり5ドルから5,000ドルまで値上がり)
- 日本語で現地の人々を教育すべく日本昭南学園を設立
- 日本軍が現シンガポール日本人学校である昭南第一日本人学校を設立
- 1945年9月12日:8月15日の連合国軍への降伏に伴い、シンガポールの市役所にて降伏文書へ調印。日本占領は終焉を迎え、昭南島からシンガポールへ戻り、再びイギリスの統治下となる
街の中心部に位置する Raffle’s Cityの近くには戦争記念公園(War Memorial Park)があり、中心には高さ67mの日本占領時期死難人民記念碑(Civilian War Memorial)が建てられています。
シンガポールの2月15日は”Total Defence Day”
1965年にはマレー連邦から分離し、現在の都市国家・シンガポール共和国が成立しました。